FP安藤宏和の原点④

こんにちは、ファイナンシャルプランナーの安藤です。

何回にも渡っていますが、最初にしっかり深堀しておきたいので、僕の原点についてもう少し続けます。

会社員時代(後半)

ダメ営業マンだった原因

ここまでの生い立ちで書きませんでしたが、僕は高校・大学でマック・スタバのアルバイトで身に付けた「自信」や、ダイエット・就活などをストイックに取り組んで成功させた「自信」から、チームプレーよりも個人プレーを好む性格になっていました。

また、「俺はできる」と基準値を高く置くことでモチベーションに繋げていた反面、他人をどこかしら見下すような感覚を持つようになっていました。

そのため、まず会社で先輩や上司のアドバイスを素直に聞き入れませんでした。

「俺は独自のやり方で成果を出して、あっと驚かせてやる」くらいに考えていたのだと思います。

これまで何十年にもわたって諸先輩方が競合他社としのぎを削って培ったきたものを、勝手な思い込みを持った新人営業マンが簡単にひっくり返せるはずもありません。

正直、何をやっても全く成果が出ませんでした。

そして社内の人に対してだけでなく、社外・取引先の人にもそうした思考が態度に出ていたのでしょう。

「自信はありそうだけど全然ダメだね」と口で言われたわけではないですが、僕への対応や保険を販売していないという結果を思い起こせば、ほぼ間違いなくそう感じられていたはずです。

それでもなお「俺はきっとできる」とただ言い聞かせるものの、全く成果が出ない日々が続き、1年半くらいはどん底を味わいました。

先輩の一言でプライド粉砕

そんな悶々とした日々を過ごしていた社会人2年目のある日、一番年齢が近い先輩と管理職昇格間近の先輩に、食事に誘われました。

部署に配属されて1年以上が経過してもなお、プライドばかり高くて成果も出ないお荷物状態のダメダメ若手社員。

「やんのか?やんないのか!?」ということだったのでしょう。

小一時間くらいかけて、「今どうしようと考えて営業してるのか」「成果が出ないのは何が原因だと思うか」「そもそも安藤は学生時代にどんな道を歩んできたのか」などをじっくりヒアリングされました。

細かく覚えていませんが、相変わらず謎の自信をもって「こうすれば成果が出るはず」「学生当時こんなことを成し遂げた」といった持論・実績を語っていた気がします。

すると、前述の管理職昇格間近の先輩が間をとって、こう言いました。

「安藤、お前全然すごくないで」(関西弁)

普段温厚なその先輩が、今まで見たことのないやや険しい表情で、キッと僕の目を見てその言葉を発し、微動だにしません。

僕はなんとか目をそらさずにいることが精一杯でしたが、1秒2秒と経つにつれ、体の芯から何かが崩れ去っていくような感覚になりました。それは今も鮮明に覚えています。

何秒か経って、僕は取り繕うように「すごいなんて思ってないですよ」と言いましたが、その先輩に「いいや思ってる。人のことを見下しとるやろ」と畳みかけられました。

その後はこんこんとお話を聞く時間。

プライドは完全に打ち砕かれると同時に、社会人としてチームメンバーとしてどんな心構えが必要なのかを伝えれました。

憔悴しきった僕は「あんたに何が分かるんだ!」という反発心も一瞬生まれましたが、、、ここまで言われてそのまま変われないのは本気で情けないと感じました。

何より、その二人の先輩のお人柄はよく分かっていたので、ここまで愛情をかけてくださることに感謝の思いが。

恥ずかしながら今まで僕は独りよがりでこんな思いになったことはないのですが、今回ばかりは何とかして恩返しをしたいと考えたのです。

ようやくマインドチェンジして営業成績向上

この日を境に、僕は先輩方の意見に真剣に耳を傾け、「やれることは何でもマネする」というスタンスに方針転換しました。

普段あまり話さなかった先輩にも、担当代理店の特徴や人間関係の作り方などを徹底的にヒアリングし、「これは俺は合わないな」とつい思ってしまうようなことも含め、何でも実践してみました。

それを数か月ほど続けていると、明らかに営業成績が変わってきました。

更に、たまたま担当変更で受け持った代理店で数か月営業活動をしていると、ほぼラッキーパンチのような大規模案件が降ってきて、クイックレスポンスで対応したところ無事に成約。

同期研修で成果発表するほどのことになったのです。

これらの成果は僕が独自に開拓したことでも何でもないですし、本当にチームの諸先輩方のお陰なのですが、愚直にやることの大切さを学ぶことができました。

こうして少しずつ「本当の自信」を身に付けると、だんだんと得意分野もできてきました。

実はこれが、後の独立後の事業に繋がる「生命保険」です。

全開のブログの通り、最初は「最も苦手な分野」といえるくらいダメでしたが、チーム全体が予算に向けて苦戦している中で、まずは自分のノルマだけでもやり抜こう!と頑張っていると、ちょくちょく案件を獲得できるようになりました。

そして、自分のノルマを達成後も「チームのノルマ達成のため」というマインドが自然と生まれ、結果的に何カ月も連続でチーム予算達成に大きく貢献できました。

損害保険はやっと人並みになった程度でしたが、生命保険は貢献度が高かったため労われ、「ようやく少しはチームに必要とされるようになった」と感じました。

社会人になって初めての経験だったので、本当に嬉しかったのをよく覚えています。

こうして、成果を出すことで必要とされ、それが嬉しくて更に精進して高い成果に繋げていく、そんな好循環が生まれていきました。

三井住友海上で自信をつけるも、個人事業への憧れから退職

入社3年目はどっぷり三井住友海上での業務に打ち込み、その頃には当初の「会社員でずっといくつもりはない」という考えが薄れ、

「このままずっといる可能性もあるな」という思いも頭をよぎり始めていました。

(事実、入社当時は選択制確定拠出年金に加入せず、前払い退職金で受け取っていましたが、入社3年目に遅れて加入しました^^;)

その理由の一つは、三井住友海上が収入面で非常に恵まれていること。

もちろん営業成績等の評価にもよりますが、基本的にはほとんどの人が30代中盤で年収1000万円に到達します。

しかも、寮や借り上げ社宅、住宅ローンの補助など福利厚生も超充実!

そのまま三井住友海上で勤め上げるメリットも十分に感じました。

ですが、逆にこの好待遇はネックでもあります。そう、良すぎるのです。

「俺はやっぱり個人事業に憧れがあるから、独立したい。でも本質的にビビりだから、年収1000万円になってからその地位を捨てて独立なんてできない」

本気でそう思いました。

暗黒の時代を経て、流石にこの頃は「謎の自信」一辺倒ではなく、多少なりとも自分のことを俯瞰して見れるようになっていたので、

「自分の性格を考えたら早い方が良い」との結論に至りました。

そこで「独立起業」をキーワードにいろいろ探してみたのですが、たった3年程度のキャリアでは自分の強みで成功できそうなものはほとんどなく、、、

かといって父親の家業である司法書士を継ぐという思いもわかず。(単に勉強嫌いだっただけですが笑)

そうやって細々と独立準備を進めているうちに、本業で提携している生命保険代理店に勧められた「アリコジャパンは良いよ」との言葉を思い出しました。

思い立ったら即行動!

早速当時のアリコジャパン(現メットライフ生命)の個人代理店統括部門に電話してアポをとり、春休みに横浜へ帰省した際にいろいろ聞きまくりました。

今考えれば業界研究も市場調査も自己分析も甘かったなと思いますが、アリコジャパン専属の個人保険代理店で独立することを決断!

円満退職のためかなり早い段階で先輩に相談し、上司にその意思を伝えました。

結果、半年後の退職を了承され、準備を進めます。

以前の僕だったら「辞めるんだから俺は関係ない」くらいのスタンスで半年間はテキトーに業務をこなしたかもしれませんが、「育ててもらった三井住友海上で最低限の務めは果たさなくては!」との思いが自然とわき、業務にも全力を注ぎました。

独立準備として「FP(ファイナンシャルプランナー)の資格は取っておいた方が役に立ちそう」との考えで、資格の大原で講座を受け、独立直前で無事に2級合格。

かくして円満退職し、次のステージに進むことになりました。

三井住友海上で育てていただいたチームの諸先輩方、取引先の代理店のみなさん、相談に乗ってくれた同期、他にも多くの方に支えられた3年半。本当に感謝の気持ちしかありません。

実は今も三井住友海上のみなさんとは公私でお世話になっており、本当に良いご縁をいただいています。

つい熱くなってしまい長文になりましたので、次回独立編に進みます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

このブログは、ひっそりと自分の備忘録にしておいた方が良いかなと思い始めてきました(汗)

安藤

投稿者プロフィール

安藤 宏和
安藤 宏和
「金融教育」と「資産形成カウンセリング」が専門の独立系FP。セミナー講師実績が豊富で、登壇回数はのべ400回以上、受講者はのべ5000人を超える。日本人の金融リテラシー向上と、iDeCo・企業型DC・NISA等を活用した資産形成への貢献をミッションに掲げる。趣味はお酒とB級グルメ。

まずは「無料」相談をご利用ください。